サッチャー時代 2012 9 23

 イギリスのサッチャー元首相は、
自由主義陣営の旗手というイメージが強く、
歴史的にも、自由主義陣営の旗手として、
人類の記憶に残るでしょう。
 しかし、映画「マーガレット・サッチャー」では、
サッチャー時代の経済にも焦点を当てています。
 女性でありながら、
強い指導者として首相に就任したサッチャーは、
強力に市場改革や市場経済を推進します。
いわゆる「新自由主義的な経済政策」を実施したのです。
 しかし、結果は、失業率の大幅な上昇、企業の相次ぐ倒産など、
「サッチャー不景気」の様相を呈していました。
側近からは、「不景気なのに、歳出削減をするのか」とまで言われました。
サッチャーの支持率は大きく低下し、政権の危機に陥りました。
 そこへ、アルゼンチンの軍事政権が、
イギリス領のフォークランド諸島を占領したというニュースがありました。
 当時のアルゼンチンの政治情勢としては、
軍事政権が、民衆の不満をそらすために、
フォークランド諸島問題を煽ることで、
国内の反体制的な不満の矛先を逸らせようとしていたのです。
 サッチャーの側近からは、
「本国から2万キロも離れている。
そんな遠くまで艦隊を送るのは難しい。
財政的にも、そんな費用は出せない」と言われ、
アメリカの国務長官からは、
「フォークランド諸島にイギリス人は少なく、島は経済的な価値が低い」と忠告されました。
 しかし、サッチャーは、開戦を決断しました。
結果は、イギリスの勝利となると同時に、
経済は、空前の好景気となり、サッチャーの支持率も急上昇しました。
これは、戦争経済というケインズ流の景気刺激策となったのです。
 こうした「サッチャー景気」により、
サッチャーの政治的な立場は、強固なものとなり、
なおかつ、自由主義陣営の旗手としての原動力となったと思います。

1937年恐慌 2009 7 4
 NIKKEI NETのマネー&マーケットで、
岡田晃氏は、「1937年恐慌」のことを書いています。
(以下、引用)
 1933年に登場したフランクリン・ルーズベルト大統領が、
ニューディール政策で米国経済を立て直したことは広く知られている。
 1933年までの4年間、
大幅なマイナス成長が続いていた実質国内総生産(GDP)は、
翌1934年からプラスに転じ、1937年まで景気回復が続いた。
 1933年に50ドル前後まで落ち込んでいたダウ工業株30種平均は、
1937年に190ドル台まで回復していた。
 そこで、ルーズベルト政権は、
ニューディール政策によって膨らんだ財政赤字を削減すべく、
増税に踏み切り、財政再建路線に転換した。
FRBも金融引き締めに転じた。
 だが、これは明らかに誤りだった。
景気は再び急速に悪化し株価は暴落した。
実質GDPは翌1938年にマイナス成長へ逆戻りし、
ダウ平均は1937年の戻り高値のおよそ半分の水準まで下がった。
これは、「1937年恐慌」と呼ばれている。
それ以降、米国経済の本格回復は第2次世界大戦後まで待たねばならなかった。
(以上、引用)

サッチャー 2012 9 17

映画「マーガレット・サッチャー」

 この映画は、DVDで鑑賞しました。
サッチャーは、歴史に残る政治家となるでしょう。
常に自由主義陣営の先陣に立って戦い続けてきた政治家。
それが、サッチャーを象徴する言葉でしょう。
 残念ながら、現在、サッチャーのような政治家はいません。
サッチャーは、自由のために戦った「最後の政治家」と言えるでしょう。
英国史だけでなく、世界史にも残る政治家となるでしょう。
 神は、自らを助ける者を助ける。
God helps those who help themselves.
サッチャーに贈る言葉です。
そして、イギリス国民にも贈る言葉です。
























































































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